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2015.04.14 東行忌・山縣有朋像の除幕式を行いました

高杉晋作祥月命日の本日、当境内の東行墓前において、149回忌の法要および墓前祭が執り行われました。前日からの雨も直前にあがり、多くのご参列者をお迎えすることができましたことを心より感謝申し上げます。

 

読経1

 

法要では、吉田緑こども園の園児のみなさんによる「散華の舞」に始まり、松野實応兼務住職を中心とした読経の中、中尾友昭下関市長をはじめとするご来賓や各界の有志や吉田地区の関係者に至る方々にご焼香をいただき、墓前祭では、尺八演奏、献吟も奉納されています。

 

散華の舞 読経2

 

中尾市長 尺八演奏

 

献吟1 献吟2

 

今年は例年の東行忌に引き続き、再建立された「山縣狂介(有朋)像」の除幕式も行われ、東行庵の新たなモニュメントがお披露目されました。

 

除幕1

 

東行庵の前身「無隣庵」を晋作の菩提を弔う梅処尼に贈るなど、浅からぬ縁で結ばれていたこの地には、昭和初期に建立された軍服姿の山縣有朋像がありましたが、戦時中に金属供出されたため長らく台座のみが残されていました。後に跡地には高杉晋作の陶像(日和山陶像の試作原型)が設置されたことにより、吉田の地に山縣公顕彰の痕跡が失われたことに心を痛めていた有志の思いが銅像再建という形で実現されました。

 

除幕2 除幕3

 

除幕式では、銅像銘板の揮毫もされた玄孫の山縣有徳さんや中尾市長をはじめとする、建立に尽力をいただいた関係者の方々による除幕によって、吉田で活躍された狂介時代の山縣公の銅像が公開されました。また、銅像作家の奈部雅昭先生や台座製作の(有)中村石材さんに感謝状と記念品をお贈りすることで感謝の意を伝えました。

 

山縣有徳氏 古川薫先生

 

奈部雅昭氏 山縣公銅像

2015.04.07 東行記念館企画展情報

東行庵に隣接する下関市立東行記念館の企画展情報です。

記念館所蔵の資料を中心に高杉晋作の生涯を紹介する企画展を開催しています。この機会にあらためて晋作の生涯を見直してみてはいかがでしょうか。

(お問い合わせは、下関市立東行記念館 電話:083-284-0212まで)

 

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常設企画展「高杉晋作の生涯」(4月7日~7月5日) 

 

下関に拠点を据えて以降も躍動し続けた高杉晋作の生涯を、萩藩内訌戦や四境戦争などの資料を中心に、館蔵資料を用いて紹介します。 

 

〈 主な展示物 〉
    
「高杉晋作写真」  

 慶応2年(1866)3月、萩藩の使者として薩英会盟に立ち会うため、
 鹿児島に向かう途次、長崎で撮影したと推察される写真。
    
「高杉晋作所用道中三味線」※前期(4月7日~5月24日)のみ展示  

 棹を分解して胴に収納できる細工が施された三味線。
 下関桝屋石邑孝四良が文政13年(1830)に製作したもの。
 晋作は三味線を肌身離さず持ち歩き、旅の道中や戦場で爪弾きながら、    
 端唄や今様、都々逸などを唄っていたという。
    
「高杉晋作所用瓢」※前期(4月7日~5月24日)のみ展示
 酒を好んだ晋作が愛用した瓢。  
 この瓢は一度山縣有朋に贈ったものの、後に返却を求めたものである。
 大正5年(1916)、瓢に再会した山縣は、
 「ひさこ酒 君かすゝめし ありさまは 目にも耳にも 猶のこりけり」と詠み、有りし日の晋作を偲んだ。 
    
「高杉晋作所用脚付ガラス杯」※後期(5月26日~7月5日)のみ展示  

 晋作が愛用した萩ガラスの脚付グラス。
 10面カットが特徴で、高さ8センチ、口径4.6センチ。
 現存する幕末当時の萩ガラスは少なく、貴重な一客である。
 萩藩は万延元年(1860)からガラス製造を始め、文久元年(1861)には朝廷へもガラス器を献上したが、
 文久3年(1863)以降、攘夷戦争や萩藩内訌戦、四境戦争と続く中でガラス製造の中止を余儀なくされた。
    
「高杉晋作所用具足一式」  

 元治元年(1864)12月15日深夜、晋作が長府功山寺において決起した際、
 着用していた具足一式。東久世通禧の回想(『竹亭回顧録』)に拠れば、
 晋作は「紺糸威の腹巻を着て、桃形の兜を首へかけ、太刀を次の間へ置て」三條実美ら五卿に暇乞いの挨拶をしたという。
 なお、奇兵隊など諸隊の大半は決起に賛同せず、参加していない。
 決起に加わったのは、遊撃軍(遊撃隊)・力士隊の八〇名程だったと伝わる(『東久世通禧日記』)。

 

(引用:下関市公式WEBサイトより)

2015.04.03 今年も例年通りに「東行忌」が行われます

来る4月14日(火)は、高杉東行先生の祥月命日(149回忌)にあたり、例年通りに当庵では春の一大恒例法要「東行忌」が執り行われる予定です。

今年は、東行忌と共に晋作盟友で当庵前身「無隣庵」の庵主で明治の元勲「山縣狂介(有朋)像」の除幕式を行います。

 

【東行忌】

受付:9時~ 開始時間:10時00分~

《法要》稚児舞(散華の舞)、挨拶、読経、供物奉納、焼香(関係者)

《墓前祭》音曲(尺八演奏、吟詠)、一般焼香

【山縣狂介(有朋)像除幕式】

開始時間:11時00分~

 

本年は除幕式の併催や大河ドラマ放送の影響もあり、報道関係者や参列者が多いことが予想されます。

駐車台数には限りがありますので、お早目のご参集と公共交通機関のご利用や乗り合わせによるご協力をお願い致します。

2015.03.20 山縣有朋像の設置作業が行われました

本日、東行庵敷地内において東行忌に合わせてお披露目予定の「山縣有朋像」の設置作業が行われました。

松野實應兼務住職をはじめ神田英雄東行庵責任役員や関係者の見守る中、昨年の晋作像と同じ製造元である富山県高岡市の(株)竹中銅器さんによる作業が無事に終了しました。

除幕式でのお披露目までは、台座周りの整備なども行うため、しばしお隠れいただくことになりますので、お楽しみにお待ちいただきたいと思います(どのようなお姿なのかは、銘板の表記がヒントとなるでしょう)。

なお、銘板の揮毫は玄孫の山縣有徳氏によるものです。

 

山縣像_mz 山縣像銘板

 

※画像は一部加工してあります。

2015.03.14 山縣有朋像除幕式のお知らせ

このところの陽気で、東行庵の梅園もすべての品種が咲きそろいました。

園内は一気に春の装いとなっています。

 

2015梅園 梅園メジロ

 

東行庵では、来る4月14日(火)の東行忌と共に山縣有朋公の銅像完成除幕式が行われる予定です。

像は、園内にある高杉晋作陶像(記念館正面の「銅像」ではなく庵の裏山にある「陶像」)のやや下あたりに設置されます。

 

山縣像用地 山縣像土台

 

かつては「東行庵」の前身「無隣庵」の庵主でもあった山縣公の記念に銅像が建立されていたのですが、戦時の金属供出による「出征」後、残された台座には高杉晋作の陶像が戦後に設置され現在に至っています。今回、かねてより声のあった公の銅像再建の気運が高まったことから建立が決定しました。

除幕式は「東行忌」に引き続き午前11時頃より行われる予定ですので、是非ご参集の程よろしくお願い致します。

2014.12.15 吉田観光協会WEBサイトがオープン

当庵も紹介されている吉田観光協会の公式WEBサイトがオープンされました。

吉田町の成り立ちが貴重な古写真と共に紹介されていたり、奇兵隊との関わりの深い寺院の紹介、現在の吉田の四季や物産などの情報も掲載されています。

→吉田観光協会公式WEBサイト

2014.12.10 東行記念館企画展情報

東行庵に隣接する下関市立東行記念館の企画展情報です。

晋作の正妻雅子が野村望東尼との合作で有名な句を書き残したものなど、晋作ファンでなくとも一見しておきたいものが多く展示されています。実物を間近で見て、筆遣いなどで当時の人たちの心の動きを感じてください。

 

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常設企画展「晋作を支えた人々」

(H26年12月10日~H27年4月5日) 

 

山縣有朋書の東行庵由緒など、高杉晋作を支えた身近な人々の関連文書や遺品を紹介しています。

 

〈 主な展示物 〉
    
高杉晋作書状 両親宛  

 文久3年(1863)12月4日、晋作が父小忠太・母みちへ宛てたもの

 

梅処尼所用鞄  

 晋作がおうの(梅処尼)に贈った英国製の鞄。

 

高杉雅子書  

 晋作と野村望東尼の合作を雅子が書き記したもの

 

山縣有朋筆東行庵由緒  

 明治35年(1902)11月に山縣有朋が書いた東行庵の由緒書。

 

2014.11.05 東行記念館企画展情報

東行庵に隣接する下関市立東行記念館の企画展情報です。

所蔵の具足をはじめ、国内にある晋作の詩書・書状など、決起に至るまでの思いや意気込みを伝える品々が展示されています。

 

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高杉晋作決起150年記念特別展「晋作決起―長州復権への道―」

(11月5日~12月7日) 

 

高杉晋作決起150年を記念して開催するもので、晋作の生涯及び長州藩の幕末史における「決起」の位置づけとその意義を紹介します。

 

〈 主な展示物 〉
    
「高杉晋作扁額書」(周南市美術博物館蔵)  

 「天勾践を空しゅうする莫れ、時に范蠡無きにしも非ず」とは、南北朝の動乱を描いた『太平記』からの引用。

 

「高杉晋作詩書」(京都大学附属図書館蔵)  

 万延元年(1860)10月27日、吉田松陰の一周忌に際して晋作が詠んだ七言絶句。

 

「高杉晋作所用具足一式」(胴丸、個人蔵/下関市立東行記念館寄託)(他、下関市立東行記念館蔵)  

 元治元年(1864)12月15日深夜、晋作が長府功山寺において決起した際、着用していた具足一式。

 

「高杉晋作書状 吉富藤兵衛宛」(個人蔵/山口県文書館寄託)  

 元治元年(1864)12月27日、晋作が吉敷郡矢原村(現山口市)の大庄屋吉富藤兵衛へ宛てたもの

 

「高杉晋作詩書」(福岡市博物館蔵)  

 元治元年(1864)11月、晋作が野村望東尼の平尾山荘を辞する際に詠んだ七言絶句。

 

「奇兵隊日記(元治日記六)」(京都大学附属図書館蔵)  

 「元治日記六」は、元治元年(1864)11月15日から翌2年(1865)正月22日までの記録。 

 

2014.09.09 東行記念館企画展情報

東行庵に隣接する下関市立東行記念館の常設企画展が本日より公開です。

所蔵の奇兵隊士写真や転戦中の奇兵隊士書状など、歴史上の出来事を身近に感じることができる品々が展示されています。

 

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常設企画展「奇兵隊の軌跡―維新への道―」(9月9日~11月3日)

 

明治維新に大きな役割を果たした奇兵隊。 
その結成から戊辰戦争における活躍までを、館蔵資料を用いて紹介します。

 

〈 主な展示物 〉
    
「藤田育太郎写真」  

藤田育太郎は奇兵隊士で、はじめ桜山隼人と名乗っていたが、
慶応3年(1867)4月5日より、本名の藤田育太郎として活動するようになった。
北越戦争に従軍中の明治元年(1868)7月25日、越後国長岡(現新潟県長岡市)で戦死。
    
「藤田育太郎袖印」  

藤田育太郎が使用した袖印。絹でできている。
袖印は、萩藩政府によって雛形が決められており、寸法縦9寸(約27㎝)、横3寸(約9㎝)、生地は武士の者は絹、武士以外の者は晒(さらし)となっていた。
    
「長嶋義輔写真」  

長嶋義輔は、慶応元年(1865)3月20日に長嶋益之丞の名で、奇兵隊へ入隊。同年閏5月、義輔と改名する。奇兵隊士として、小倉戦争や北越戦争に従軍したことが確認できるが、
明治3年(1870)2月、脱退騒動の首謀者として捕えられ、3月13日に斬首された。
    
「長嶋義輔書状 父宛」  

慶応4年(1868)5月7日の書状で、越後国高田城下(現新潟県上越市)に居ること等を伝える。 北越に向かった長州軍は、閏4月19日に高田城下に到着。5月10日に新政府軍の本営が柏崎(現新潟県柏崎市)に移るまで、ここを拠点としていた
    
「矢野安太郎袖印」  

晒(さらし)で作られた袖印。
矢野安太郎は吉田村(現下関市吉田)の出身で、慶応2年(1866)2月21日に志願して奇兵隊に入隊。 長期にわたる病気療養のため、翌年8月8日に除隊を命じられるが、約2ヶ月後に再入隊している。 北越戦争中の慶応4年(1868)6月27日、越後国桂峠で負傷した。
    
「龕灯提灯(がんどうぢょうちん)」  

銅またはブリキで釣鐘型の外枠を作り、中に自由に回転するろうそく立てを置いたもの。
この提灯は銅の代わりに木製の枠でできており、細い竹で2ヶ所が締めてある。 先方だけを照らし、自分の方へは光が差さないようになっている。「奇兵隊用」と記されている。

 

2014.07.21 安倍総理がご来庵されました

7月19日午前に、安倍晋三第96代内閣総理大臣が帰郷の合間をぬって東行庵にお越しくださいました。

父子共に「晋」の字を受け継ぐ浅からぬご縁はもとより、事務所に晋作語録を掲げるほど郷土の英傑に畏敬の念をお持ちになられており、本年3月に建立された高杉晋作銅像銘板の揮毫など、当庵に対しても一方ならぬご協力をいただいております。

 

安倍総理訪問

 

銅像周辺も新たに整備され、詩吟でも有名な「焦心録に題す」の詩碑も銅像芳名録の近くに移設。銅像の足下には今回の総理ご訪問を記念した石板も埋め込まれました。

当日は、高杉晋作銅像をご覧の後、東行庵の仏壇にお参りされ、さらに墓前にて献花をされました。

「志が定まった」とのお言葉もあり、これからの益々のご活躍が期待されるところです。

 

玄関先 仏前

 

墓前 記念石板

 

ちなみに「焦心録に題す」 は、下関市立東行記念館所蔵の「甲子残稿」を参照したもので、詩吟に用いられる『焦心録後に題す』とは一部異なります。詩文の内容・意味などはこちらをご参照ください。

 

完工 焦心録に題す

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高杉晋作の遺品などについては、下のリンク先バナー下関市立歴史博物館から下関市立東行記念館をクリックしてください。

  • 下関市立長府博物館
  • 下関観光コンベンション協会
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