境内紹介


顕彰碑


高杉晋作顕彰碑

撰文は伊藤博文で、杉孫七郎が揮毫しています。
頭書きの「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し…」はあまりにも有名で、高杉晋作の人となりと、行動をよく表しています。明治44年(1911)5月20日、除幕されました。隣接する福田公明の顕彰碑が小型のため、先に建立されました。高杉晋作の顕彰碑は大型のために遅れ、初代庵主の梅処尼・おうのは、「旦那のが来ない、旦那のが来ないと」と待ち続け、完成を見ることなく亡くなっています。

高杉晋作顕彰碑(拡大)


高杉晋作顕彰碑


同除幕式記念碑



高杉晋作顕彰碑除幕式

明治44年(1911)5月20日、井上馨によって、高杉晋作顕彰碑が除幕されました。
井上馨は、参列者に「君に忠、親に孝、人と交わるに信…」と述べ、「諸君がその精神無くして高杉晋作君の碑に対せらるるは、誠に恥ずべきの至りであろうと思う」と結んでいます。

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福田公明墓と顕彰碑

福田公明(侠平)の墓と顕彰碑で、高杉晋作に最も信頼されていたことからいずれも並んで建っています。
奇兵隊参謀として活躍し、北越に従軍しましたが、病気で下関に帰り、明治元年(1868)死去しました。

福田公明墓


福田公明顕彰碑

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