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2022.10.17 アサギマダラ やっと飛来

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                    (令和4年10月16日:写真提供:佐野えりかさん)

 お待たせしました。フジバカマの花にアサギマダラがやっと飛来しました。下関市内各地、この2,3日にやっと飛来です。北陸方面などの気候が例年になく温暖で、南へ行きたくなかったのでしょうか…。

 旅をする蝶、として有名な蝶で、漢字で記すと「浅葱斑」と書きます。羽根のマーキングといって、日付、場所などを書いて、放すと、1000㌔も旅をし、たまたまつかまって、話題になることがあります。写真の蝶は、メスです。メスはキジョランという、ツル性の草に卵を産付けます。キジョランは有毒植物ですが、アサギマダラに限って、毒の害はありません。この頃飛来したアサギマダラが、産み付けた卵が、来春羽化し、やがて蝶に成長し、北へと飛んでゆきます。下関を発って、東北地方で捕獲されることがあります。

 ところでキジョランというツル性の植物は、花をつけるまでに10年もかかるとかです。そして、漢字で「鬼女蘭」と書きます。今年の秋に花をつけると、次の年の秋に、アケビのような実をつけます。そして熟すと黒くなり、弾けると、中から真っ白い2センチほどのヒゲをつけた実が、飛んで行くのです。この実は、平坦な野原ではなく、下関ですと、標高200㍍くらいの森の中でみられます。

 この蝶は、数千キロも旅をすること、美しい浅葱色の姿、さらに「鬼女蘭」と呼ばれる、実の姿。まず第一歩は、庭にフジバカマの苗を植えることです。北九州市立白野江植物公園のお世話で、スタンプラリーがあり、フジバカマの苗を譲ってもらえる事業が実施されています。

 

 

 

2022.10.11 ハギ(萩)が咲き、深まる秋

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                                                                                       (令和4年10月11日)

 文頭からお詫びです。前回はとんでもない間違いで、深くお詫びいたします。東行先生の祖父は小忠太さんです、さらに、東行庵の建設は明治17年です。大変失礼いたしました。

 ところで、今回は、ハギの花が咲き、東行庵の境内地も秋の深まりを感じさせてくれる一コマです。本来、この時機は、旅をする蝶「アサギマダラ」の動静ですが、今年は、やや遅れているようで、いまだに、あの優雅な飛来の姿がありません。次回にはご紹介をと、願っています。

 そこで、東行庵の仏間ですが明治17年(1884)に建設されて、すでに138年経過しています。したがって、玄関の扉の老朽化が進んだため、ただいま、改修中です。

 思えば多くの名だたるかたが、出入りされたことでしょう。これまでは和風の、内側へ観音開きの扉でしたが、左右への引き違いとなります。

 これからも、東行先生や梅処尼(初代庵主)、梅仙尼(2代庵主)玉仙尼(3代庵主)の位牌を参詣に多く方をお迎えすることでしょう。

 東行池の周囲の桜葉も、紅を増してきました。どうぞ秋の一日をお楽しみに、おでかけくださいませ。

 

2022.10.06 高杉家の累代墓にもお参り

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                              (令和4年10月6日)

 

 10月6日、いつものように東行先生のお墓にお参りすると、なんとキクの生花とワンカップが、新しくお供えされていました。また遠方からお参りいただいたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。続いて、高杉家の累代墓におまいりしました。すると、なんと、ここにもキクの生花と、ワンカップが同じようにお供えされていました。先月26日でしたかこのページで、ご紹介しましたせいでしょうか。でも、私の知る範囲では、高杉家の累代墓に、このようにお参りされてたかたは、初めてのことだと思います。

 そこで、この累代墓には、どのようなかたが眠っておられるか、ご紹介しましょう。

 まず、高杉東行先生の正室。雅子さま。そして、長男の東一さん。このお二人についてご紹介したいと思います。

 雅子さまは、萩と山口に住まわれ、長男・東一の勉学のために一家そろって、明治10年東一が13歳のとき、東京へ移っています。東行先生の父・小忠太さんのご意見が大きかったことと推察されます。東一はそのような環境で東京へ行き、現在の一橋大学の前身、商法講習所に入ります。ところが、商法講習所は、簿記を学ぶ学校で、先生は御雇外国人、朝から晩まで英語での日々、当然、卒業の時には英語はペラペラです。折しも伊藤博文が、日本国憲法を発布に向け明治15年ヨーロッパへ。こういうときです、東一の祖父・小忠太は、伊藤博文へ、孫の東一をヨーロッパへ帯同することを頼むと、伊藤博文は快諾のほかありません。こうしたことから東一は、後にオーストリア・ウイーンで、外交官の任につきます。

 本年12月18日(日)まで、市立東行記念館で明治21年、高杉東一著「英和新国民大辞典」が展示中であることも、紹介しておきましょう。

 一方雅子さんは、東京で、息子の不在の日々ですが、そんな中、東行先生の愛人であったおうのさんが、東京へ訪ねてきます。用件は、東行先生の位牌をお守りする場所がなく、その建物を建設するための資金集めです。伊藤博文や山縣有朋などをめぐってというよりも、皆さんが雅子さんの宅を訪ねて来られたことでしょう。雅子さんの役目は、おうのさんにゆっくりくつろいでもらうことが、最大のおもてなしで、一族が維新の激闘の日々を語りあったことでしょう。こうして、当時の1、550円を手にして、おうのさんは下関に帰り、現在の東行庵を、明治17年に建設したのです。

 写真のお墓の裏面には、当然、東一、雅子さんなどのお名前が刻まれています。

   さてさて、どのような方が、菊の生花とワンカップを持参され、御参りされたのでしょうか。今夜は、眠れないでしょう。墓前のワンカップ・黒霧島を賞味してみましょうか。

 

 

2022.09.26 東行先生と一献傾け、情報収集。

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                                (令和4年9月26日)

 9月26日、朝のお参り。ひさかたぶりに東行先生を崇拝されるかたが、お参りされていました。おそらく25日に参詣されたものと思われます。以前から、熱心なかたがいらっしゃるな、と推察はいたしていました。墓前に蓋があけられた、ワンカップがお供えされていたのです。

 その2日まえ、9月24日のことですが、なんと遠路・群馬県みどり市からご夫妻とお嬢様の3人で、東行庵を訪ねてくださったかたがおられました。いろいろ雑談の中で、群馬県令楫取素彦とか、東行先生はお酒が好きで…。となりました。側には、おうのさんがおられたのでしょうね、となりました。しかし、当時の情報収集には、御酒の席が何より大切だったのでしょうね。と言うことで結びとなりました。

 松下村塾には、「飛耳長目」というノートがあり、各地を旅する人から手紙が届くと、その内容を転記し、いながらにして、情報を共有していた、ということですから、一献傾けての話も貴重な情報収集につながっていたのでしょうね。

 どなたが、お供えされたかはもとより不明ですが、東行先生と、どのようなお話をされたのでしょうか。現在では、スマホなどで、情報が飛び交っていますよ。と、話されたでしょうかね。

 

2022.09.18 彼岸花咲く 秋到来

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                                 (9月18日)

 台風14号が、日本列島を縦断の予報時に、なんと、彼岸花は満開ですよ。この時に台風が…。という気持ちです。バックは、昨年10月1日に、33回忌が営まれた東行庵第3代庵主・谷玉仙尼さまの墓標です。もう、一年が経過しました。なんと、早いことですね…。彼岸花のツボミを見つけて、一週間ほどです。

 場所は、東行先生のお墓の西方約50㍍の位置です。すぐ近くには、東行先生の正室:雅子さまのお墓があります。そして、東行先生のお墓と結ぶ直線の反対側10㍍ほどの位置に、初代庵主:梅処尼さまの墓標があります。ですから、正室さまに比べ、愛人だった”おうの”さまのお墓の方が近いのです。

当時、お世話をされていた皆さんの心配り。彼岸花のように、繊細だったのでしょうね。次の機会に、お墓の位置を確認されるのも楽しい思い出になると思いますよ。台風14号、静かに通り抜けてほしいものです。

2022.09.14 下関東ライオンズクラブ  環境整備事業記念碑建立

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                                  (令和4年9月14日)

 下関東ライオンズクラブの認証60周年記念事業として、東行記念館の前庭舗装整備事業が行われ、記念碑が設置されました。9月14日、会長:仲林和宜さんなど役員4名が訪れ、柴田進・東行庵責任役員総代にひき渡されました。

 14日は、高杉東行先生が4月1⑷日に亡くなっておられることから、東行庵では毎月、お墓周辺を清掃する「箒の会」の日でもあり、記念碑の贈呈日も由縁の日、ということができます。

 東行庵では、後日感謝状を贈呈し、感謝の意を表すことになっています。

 

 

2022.09.09 宗教法人役員交代  紅葉谷のライトアップ実施

●宗教法人には、事務決定機関として、責任役員と総代の制度がありますが、8月末をもって、20年近く役員としてお世話されていた、斎藤淳四郎(責任役員・総代)と、干与者吉野隆浩の各氏が退任され、下記のメンバーが新しく着任されました。どうぞよろしくお願い申しあげます。

 責任役員・総代:柴田  進

 責任役員    蘭香眞志雄

 干与者     木本 哲朗

 干与者     川岡 康男

 干与者     佐野 新五

 干与者     弘中 吉晴

 

●早速、9月8日に役員会が開催され、秋の主な行事として、次の行事が決定されました。詳細は後日お知らせいたします。どうぞお楽しみに。

 紅葉谷のライトアップ 11月5日(土)~27日(日)

                                   (日没~午後9時)協力金=200円

 奇兵隊及び諸隊士慰霊祭 11月12日(土)

2022.08.28 夏も終わりを告げる

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                                  (令和4年8月28日)

 東日本に比べ西日本は、雨が少なく炎天が多く、東行池のハスも見事でしたが、いよいよ終焉の時期を迎え、百日紅の時です。去る8月15日には、3年振りに、東行庵仏間を一日に限り一般開放いたしましたところ、遠くは横浜、九州は熊本からと、25人のかたがお参りくださいました。コロナ禍が収まりましたら、全国から参詣いただきたいと願っています。

 安倍晋三元総理の悲しいニュースがありましたが、東行庵では、4年振りに責任役員の総代が、斎藤淳四郎さんから、柴田 進さんへと代わり新体制となりました。斎藤淳四郎さんは20年も前から東行庵の諸事業に関わってご支援をいただいたかたです。

 炎天の下、その移ろいを第三代谷玉仙庵主が見守って下さっています。

 先日、群馬県から伺います。と東行ファンのかたからご連絡をいただき、どうぞお待ちしています。と申しあげたところです。皆さん、どうぞコロナにお気をつけお出かけくださいませ。

 

2022.08.04 夏ツバキ(あざれあ)咲く

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                                  (令和4年8月4日)

 盛夏の侯、椿です。名前は、夏ツバキ(アザレア)。杜鵑紅(とうけんこう)ともいいます。市内吉母町の山本さんから東行庵に贈られたもので、大変珍しいツバキです。

 東行庵の玄関に飾っていますので、ツバキファンのかたは、どうぞ、ご覧ください。10日くらいは、咲き誇っているのではと、思っています。

 

2022.07.22 東行庵(仏間)を一般公開 8月15日(月)

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                                 (令和4年7月22日)                   

 梅雨明けの光を受け、東行庵の庭に、鬼百合が花開きました。

 そこで、ご案内です。背景は明治17(1884)年、初代庵主:梅処尼によって建立された東行庵です。

 日頃は、玄関を閉ざしていますが、来る8月15日(月)は、仏間を特別公開いたします。午前9時から午後3時までです。どうぞ、ご来庵ください。

 仏間には、高杉東行(晋作)先生の位牌。初代梅処尼の位牌、二代梅仙尼、三代玉仙尼の位牌、さらに奇兵隊及び諸隊士の位牌も祭られています。

 また、部屋には、伊藤博文・山縣有朋などに加え、7月8日急逝された、安倍晋三元総理大臣の書額。岸信介元総理大臣の般若心経軸。さらに安倍晋三元総理大臣が東行庵を訪れてくださった時の遺影も安置しています。どうぞご参詣くださいませ。

 1時間ごとに30分程度ですが、顧問の安冨静夫が卓話をする予定です。もちろん受講料は無用ですが、マスクのご用意をお願いいたします。

 

 

 

 

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