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2022.03.11 高杉晋作顕彰碑前で、立志式

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                                (高杉晋作顕彰碑前で)

 令和4年3月11日、山陽小野田市立:厚狭中学校の生徒125人が、午前7時に学校を出発。約14㌔を、3時間余りかけて東行庵清水山に到着。小休止ののち、高杉晋作顕彰碑前の広場で、15人ずつ前に出て、「社会貢献できる人」「何事にも全力」など一人づつが将来への誓いの言葉を述べました。食事ののち、東行庵の境内を散策し、帰路につきました。

 厚狭中学校では高杉晋作の顕彰碑の前で、「立志式」を例年開催。心に残る年中行事に、高杉晋作が好んだ梅も満開で、微笑んでいました。

 

 

 

 

 

2022.02.26 玉仙ツバキ 東行庵へ里帰り

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                           (2月26日:午後2時:東行庵玄関)

 一年振りに、玉仙ツバキが、東行庵の玄関に里帰りしました。玉仙ツバキは、令和3年3月12日、日本ツバキ協会に、登録された新種ツバキです。木本豊彦さん(下関市菊川町在住)が、登録91号で認定を受けたものです。

 玉仙の意味は、高杉晋作の菩提寺東行庵の第三世庵主:谷玉仙尼のお名前です。昨年の10月1日に33回忌が営まれました。

 市報しものせきの、3月1日号には「椿特集」として、下関市内から日本ツバキ協会に登録されている11種類の銘椿が紹介されていますが、その中にこの「玉仙ツバキ」がありますことから、2週間ほど、木本豊彦さんにお願いし、東行庵の玄関にお借りしているものです。そうです。里帰りされたのです。

 では、玉仙ツバキ、梅園をめぐり、春の訪れをお楽しみくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

2022.02.18 近く、 梅のみごろ

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                               (令和4年2月18日:梅園)

  お待たせしました。いよいよ、梅の時期到来です。これから下旬が見ごろになると思います。今朝も、東行墓は、うっすらと雪化粧で、名残雪、に包まれていました。

 禅の教えに「梅は寒苦を経て清香を発す」というのがあります。厳しい寒さを経て、やがて清らかな香りを辺りにふりまく。というものですが、まさにこの時期に咲く、梅そのものですね。

 高杉晋作は、ご存知のように苦難の道を経て明治維新の実現に尽くしました。萩から九州へと逃避するときは、谷梅之助と変名してのことですが、長男には「梅之進」(のち東一)と名づけ、愛人おうのに贈った茶杓の銘は「梅處」でした。そうして初代庵主は「梅処尼」2代庵主は「梅仙尼」と称しました。墓守りに勤めたその行いは、清香そのものと言えましょう。

 梅園のすぐ上の山辺には、高杉東行(晋作)、梅処・梅仙・さらに三代目の玉仙尼が眠っています。どうぞ、ごゆっくり清香をお楽しみくださいませ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.02.03 梅がほころび初めました。

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 令和4年2月3日、節分の日、東行庵梅園の梅が、ほころび初めました。まだまだ、2分咲き程度ですが、空もくっきりと晴れ、青空に、紅梅と白の梅が、春の到来を告げています。見ごろは、2月13日ころからと思われます。もうしばらくコロナで自粛され、どうぞ、花見にお出かけくださいませ。

 

2022.01.31 山縣有朋歿後100年

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                       山縣有朋銅像除幕式(2015:4:14)

 令和4年2月1日、山縣有朋は歿後100年を迎えました。この像は、平成27年4月14日に再建除幕されたものです。山縣有朋像は、昭和8(1933)年10月21日に、最初の銅像が建立されたものの、10年後の昭和18年、第二次世界大戦で金属物資を補充するため、撤去されて銅の一片となりました。それを、72年後に再び建立されたのです。

 歿後100年を機に、再建への敬意を記すことにします。

 高杉東行先生の菩提所東行庵は、明治17(1884)年、初代庵主梅処尼が建立したものです。その梅処尼を支援したのは、伊藤博文などをはじめ多くの人がいますが、山縣有朋もその一人でした。山縣有朋は友子夫人と、同所にあった「無鄰菴」で過ごしていましたが、ヨーロッパへ出かけるに際し、その建物を、高杉東行先生の墓守をすることになった、梅処尼に譲ったのです。それは、山縣有朋が高杉晋作によって、奇兵隊のナンバー2まで、引き立ててもらった恩義

によるものでした。

 その厚意に、吉田地域の人々は、恩義のお返しとして、昭和8年、銅像を建立したのです。場所は、現在、高杉東行陶像の建立場所で、台座はそのまま使われています。

 そして、平成27年、供出から72年後、吉田地域や全国の高杉東行先生を慕う人々によって、

恩義を感じる心の現れとして、写真の除幕式が行われたのです。この行為は、後世に引き継ぐべき、素晴らしい出来事として受け継がれることでしょう。

(像の前で、山縣有朋の子孫、山縣有徳氏はその思いを述べられました)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.01.25 東行庵箒の会:厚生労働大臣表彰

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                                                                                                   (令和3年11月14日)

 

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                                                                                    (令和4年1月25日受領)

                                                                                              

 東行庵に嬉しいニュースです。毎月14日、東行庵清水山の史跡高杉東行墓をはじめ、奇兵隊及び諸隊士の墓(140基)の周囲を、平成6年(1994)以来、下関市内外約30人の会員が、早朝8時から清掃活動を続けること27年。このたび厚生労働大臣から、ボランテイア功労団体として表彰を受けました。令和3年11月19日付けではありますが、令和4年1月25日、下関市役所で前田晋太郎市長から、賞状が渡され、齊藤淳四郎代表が受取りました。

 箒の会のメンバーは、50歳代から80歳代の男女で編成され、時間が来ると、それぞれが自然に受け持ち区域を率先して清掃を開始し、終えると全員が集合し、東行庵境内の風物を話題に、疲れを癒し、晴れ晴れとしたひと時を過ごします。

 東行庵近くのかたで、ご希望の方はどうぞ、お誘いのうえご参加くださいませ、お待ちしています。

2022.01.21 高杉晋作顕彰碑前で、立志式

  

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  令和4年1月21日、東行庵清水山の高杉晋作:顕彰碑前で、木屋川中学校(打田敦志校長)2年生29名が、立志式を行いました。

 同校では、毎年この時期に、2年生が行なっています。(昨年はコロナで中止)

 「立志式」は、立志の誓いを考えることを通して、これまでの生き方を見つめ、将来の人生を前向きに生きて行こうとする決意を示すものです。各人が、将来を一文字に表し、正々堂々と発表いたしました。寒気のなかでしたが、一人ひとり終わるごとに、温かい拍手が送られ、校風がうかがわれました。

 

 高杉晋作の顕彰碑を背に、それぞれが誓いの言葉を述べるというすばらしい環境は,他にあり得ないことです。

 高杉晋作は、師:吉田松陰の遺言『留魂録』の一節「天下の事をなすは、天下有志の士の志を通ずるにあらざれば得ず」を、心に深くとどめ、奇兵隊を創設の際には、「志を同じくする者は身分を問わない、集うように」、と隊士を募りました。その奇兵隊の挙兵こそ明治維新への第一歩でした。

 

 高杉晋作の顕彰碑を背に、各人が誓いの言葉を述べた意味は、これからの人生にとって、忘れることの出来ない、意義深いこととして心に残ることと確信しています。

2022.01.08 しめやかに 第7世松野實應庵主さま1周忌

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                           松野實應庵主さま1周忌(慈光寺)

 令和3年1月8日、遷化された東行庵7世、松野實應庵主さまの1周忌が、令和4年1月8日、慈光寺でしめやかに執り行われました。松野實應庵主さまは、89歳でしたが、「生涯現役、100歳まで頑張りますよ」と申しておられましたが、クモ膜下により急逝されたのでした。

 3日前の1月5日には、年始の祝祷諷経のお経を東行庵仏間であげていただき、年始のご挨拶を笑顔で語っておられましたのに、人生のはかなさを身をもって教示されました。

 しかし、まもなく第8世として、高杉晋作の挙兵の地として全国に知られる、功山寺(下関市長府川端町)の有福孝岳住職に兼務していただくことができ、東行庵はますます高杉晋作の菩提寺として、一段の輝きを増しています。

 

 東行庵の”千本椿園”(第3駐車場の奥)は、園路の整備が完了し、散策に好適な場所となりました。まもなく”玉の浦”など銘花の競演となります。

 また、2月19日(土)から23日(水・祝)には、銘椿”玉仙”の日本ツバキ協会登録記念1周年を祝賀し、椿展(約100種)を開催いたします。どうぞ皆様のお出かけをお待ちしています。

 

 

 

2022.01.01 新年を迎えた 高杉晋作と山縣有朋、の像

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                              高杉晋作陶像と山縣有朋銅像

 令和4年1月1日、新年の陽光を浴びた2体の像です。上の立像は高杉晋作(東行)の陶像、下の座像は山縣有朋の銅像です。

 建立の年月日は、高杉晋作像が、昭和31(1956)年11月26日。山縣有朋像は、平成

27(2015)年4月14日です。

 これからの記述は、「知る人ぞ知る」の範疇になります。上に位置する高杉晋作像の台座には、旧山縣有朋の立像がありました。昭和8(1933)年10月21日建立、同18(1943)年,金属供出により撤去です。その台座を利用して、高杉晋作の陶像が設置されましたのが、昭和31年のことです。陶像ですと、再び金属供出の憂き目に遭うことはない、という判断です。

 山縣有朋像は、平成27(2015)年に再建されましたが、姿は座像に変化しました。2体になった時、どちらが立像かの理由は、あえて説明は不要と思います。

 下関地方の元日の天候は、実にやわらかな光で、年頭を祝福するにふさわしい日差しでした。しかし、国史跡指定の「東行墓」に参拝し、花立と水鉢に新たな水を注ごうとすると、なんと、分厚い氷に拒否されてしまいました。お供えされていた、ワンカップのお酒を望まれていたのでしょうか…。その答えはお任せしましょう。

 今年2月1日は、山縣有朋が没した1922年から100年です。その機会には正面からの銅像をご紹介します。

2021.12.18 歳末行事 掃苔会を終了

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                               聖観音菩薩 掃苔会を終了

 12月18日、小雪が舞ったのち思いがけず日が差し、一年ぶりに清らかになった聖観音菩薩像が一条の光に輝きました。

 午前9時から世話人一同による、高圧水や雑巾による手拭きで清掃が行われました。10時30分、有福孝岳兼務住職による「大乘妙典観世音菩薩普門品偈」を参加者30名が読誦。その後、法話をお聞きし、東行庵の歳末行事「掃苔会」(そうたいえ)を、終了しました。

 昭和48年 清水山の御本尊として安置された石像聖観音菩薩は、台座を含む高さが6㍍もあります。岡崎市の大仏師鈴木智朗氏により制作されたものです。第1回の掃苔会は、昭和55年に行われ、今回は42回目でした。

 令和3年も暮れましたが、皆々様におかれましては、どうぞご多幸の年をお迎えくださいますよう祈念いたします。

 

 

 

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